【東大生が語る】うれしかった父との遊び6選【子育てのコツ】
一人っ子なのに寂しくなかったです。
父親は山が大好きでした。そしてよく遊んでくれました。もっとも尊敬する人です。
母親は美味しい料理で家族を支えてくれました。感謝しかないです。
今回は私が子どものときに、父親がしてくれてうれしかったことについて話していきます。
- 子どもが喜ぶ遊びを知りたい
- とにかく元気よく健やかに育ってほしい
- 子どものためになることをしたい
- 大人になってからも子どもから感謝されたい(笑)
- (欲を言えば)勉強好きの子どもに育ってほしい
そんな方は今回の記事が役に立つはずです。
これが、私の人生
本題に入る前にささっと、自己紹介させてください。
私の人生は受験まみれでした。
- 小学受験?で日本一自由な小学校に編入。
- 中学受験で、関西の灘を除いたトップ6校全てに合格。
- 高校受験で、灘に合格。
- 大学受験で、東大に合格。
- 大学院受験で、東大院に合格。
3〜4年おきに受験の連続です。
両親は、呆れるどころか、結構応援してくれました。
いや、結構どころか全力で応援してくれました。
息子視点で教育・子育てについて語る(日本唯一の)ブログです。
親の子育てで良かったこと、役立ったことをどんどん書いていきます。
↓まずは以下の記事から!
父が喜んでしてくれたこと
自然の中でよく遊んでくれました。
それに加えて物作りも一生懸命でした。
父が心がけていたことは、
- 大自然の中で遊ぶ
- 一緒にモノを手作りする
ということの2つです。
学校では絶対に教えてくれないようなことを教えたかったようです。
いつ振り返っても幸せに満ちた幼少期でした。
父よ、ありがとう。
私は父の子どもで大満足だよ。
日曜大工
木で作れそうなものはなんでも作ってしまう父でした。
月曜から土曜まで仕事が入っていましたが、隙間時間を見つけては何かしら物作りをしていました。
私と一緒にノコギリで切ったり、ネジを締めたりしていました。
最近の子どもは大工仕事しないと思いますが、父にとってそれはマストの教育だったようです。
ときどき、こうつぶやいていたのを覚えています。
- 実際に手を動かして体験しないと完全に学んだとは言えない
本当にそうだと思います。
たとえばこんなものです
- 机
- 椅子
- 本棚(10個以上は作った)
- 表札
- 整理箱
- 踏み台
- まな板(キャンプ用)
- 郵便受け
- 引き出し
- 文房具立て
モノづくりは学校で教わることはほとんどありません。
そのため父は熱心に教えてくれました。
木にはたくさん種類があって、壁に向いている木と柱に向いている木があるとか、匂いを嗅げば木の種類も木の品質もわかるとか…。
格好よく言うと
- 自分の理想や希望を実際に設計図に書いて作り出していく
感じなんですよね。
幼い頃の私はこの感覚が好きでした。
将来は大工さんになって家を建てたいと本気で思いました。
実際に小学生の頃に真面目に小屋を立てようとして基礎から設計図を書いたこともあります。
いまでも既製品の家具はほとんど買わずに手作りしています。
そんな父が頼もしくて立派です。
余談
小学低学年のころに訪れた博物館で、匂いで木の種類を当てたら学芸員に好かれてしまいました。その結果交流も深まり、贈り物までくれました。
手作りおもちゃ
私の親はおもちゃを買い与えてくれませんでした。
ゲームもDVDもありませんでした。
その代わり、すべて手作りしてくれました。
たとえば
- 凧
- 竹馬
- 羽子板
- クリスマスリース
- クリスマスツリー
山に出かけて竹を切り出したり、ツルを引っ張ったり、木の実を集めたり、それはそれは楽しい毎日でした。
- 自然の素材でものを作る
これほど幸せなことはなかったです。
週末の山登りも、単に頂上を目指すのではなく、遊び道具の材料探しも兼ねていました。
余談
おもちゃがないのがdefaultだと思っていたため、特に違和感がありませんでしたが、おもちゃ売り場で大泣きしたことがあります。車のおもちゃがどうしても欲しかったのです。母は買ってあげてもいいんじゃないかと言いましたが、父は買わないの一点張りでした。おかげで忍耐力がつきましたね。あの頃の倹約ぶりは今でも健在です。
キャンプ
GWや夏休みはキャンプが定番でした。
いまでも当時のことをありありと思い出せます。
- 満点の星空
- 赤々とくすぶる焚き火
- 新鮮で美味しい空気
- 川で釣った魚の味
- 山の頂上から見た景色
- 磯からとってきたウニや牡蠣の美味しさ
本当に楽しかったです。
一瞬一瞬が幸せに包まれていました。
私の家族は誰よりも多く旅に出かけました。
けれどもホテルや旅館に泊まったことが一度もありませんでした。
海外に行ったこともありません。
行き先は山か川か海。そのいずれかでした。
寝る場所はすべてテントです。(ときどき車の中でも)
人混みを嫌い、人のあまりいない大自然の中で過ごすことを奨励していました。
ここまで徹底している家庭も少ないのではないかと思います。
夏休みの間は父が毎週金土日に休みをとって自分と遊んでくれました。(←今から思うと大胆である)
道路地図を広げて、新聞の天気予報を見て、キャンプ場を調べて…。
私の家にはネットが通じていなかったため、すべてアナログな形でやっていました。
木曜になると居間にあらゆるキャンブ道具が並べられて、もうワクワクが止まりませんでした。
愛車のSUBARUインプレッサに荷物を満載するのを手伝いました。
木曜の夜に仕事が終わるとおむすびを握ったり、食材を準備して出発です。
「明日はたくさん遊ぶからしっかり寝とくんだぞ」と聞かされつつ、夜の高速道路が楽しすぎてなかなか寝られませんでした。
- 家族との絆が深めたい
- 大自然で健やかに遊びたい
- 子どもの満面の笑顔を見たい
そんな方にキャンプはオススメです。
そして幼少期に家族とキャンプした思い出はいつまでも心の奥底で子どもを支えてくれています。
余談
SUBARUは水平対向エンジンで有名ですが、町中でもSUBARU車のエンジン音を聞くだけで幼少の頃を思い出してしまい、いちいち感慨にふけってしまいます。
余談2
私は、SUBARUのエンジン音を聞くだけで、車種を当てられます。
登山
第二の母は誰だと聞かれれば、迷いなく山だと答えるでしょう。
毎週末欠かさず登っていました。
雨の日も、風の日も、雪の日も…。
小学校に上がる頃には、大人並みにガシガシ歩いていました。
山では会う人全員から顔と名前を覚えられ、可愛がられました。
- 絶対的な根性が身についた
のは間違いなく登山のおかげです。
小学2年生の頃には自分で装備を背負って縦走もしていました。
山岳雑誌にも紹介されたことがあります。
山に登っている間は自分の夢についてよく語っていました。
ずっと「あのねお父さん、聞いてお父さん…」と声をかけていました。
将来はこんなことしたいな、あんなことしたいな…。その繰り返しでした。
毎日楽しかったです。
山に登った時はもっと楽しかったです。
父よ、ありがとう。
大学に入ってからは過激な登山をするようになってしまったよ…。
心配かけてごめんよ。
自転車
日曜の登山から早く帰ってきたとき。
そんなときはサイクリングに出かけるのがお約束でした。
海沿いを潮風に吹かれながら走ったり、山の方まで遠出したり…。
自転車は夢のような乗り物でした。
地図に通ったルートを赤線で引いていくのが楽しくて楽しくて。
やはり
- 自分が頑張って踏破した道のりが形になって見える
のはこの上ない喜びを与えてくれます。
いまでもサイクリングを楽しんでいます。
怪我もたくさんしましたが、それ以上にメリットがありました。
将棋
教えてもらってから3日目で父に勝つことができました。(このとき父は80%の力を出したそうです)
毎日のように羽生善治の本を熟読して朝から晩まで将棋を指していました。
1ヶ月後にはどうやっても父を倒すことができました。
父はもう相手にならないのでそれ以降はずっとひとり将棋で力を伸ばしていました。
余談
灘高で休み時間に竜王戦が開催されていました。参加条件は将棋部以外です。行き帰りの列車で将棋本を熟読して必死でした。みんな負けず嫌いなんです。
父があまり乗り気でなかったもの
野外での遊びは大はしゃぎの父ですが、いったん部屋の中に戻ると読書に没頭してしまいます。
となりのトトロで出てくるサツキのお父さんみたいです。
レゴ
いとこからのお下がりで、大量のレゴを持っていました。
知育玩具として知られるレゴですが、父はまったく興味を示しませんでした。
1人でやっても楽しいのですが、たまに飽きる時がきます。
そういうときは父の元に駆けつけるのですが、いつも面倒くさそうに一瞥して終わりでした。
余談
もうすぐいとこの家庭へ返還されます。
トランプ
もうイヤイヤ状態でしたね。
母が相手をしてくれました。
父はあまりいい顔をしていませんでした。
それを見た母もいい顔をしませんでした。
次第にトランプ遊びは消滅しました。
ボードゲーム
これもいとこからのお下がりです。
まったく遊んでくれませんでした。
「もう寝る」と言って寝室に逃げ込む父の様子をよく覚えています。
人生ゲームは子育てに悪影響ということでいとこに送り返されましたね。
(そのためいとこの家に訪問するときは人生ゲームが楽しみで仕方がなかったです)
現在の父
関係はまったく変わっていないです。
遊ぶときは遊びます。
帰省したら一緒に山に行きますし、一緒にサイクリングに出かけます。(←やってること同じ)
パソコンが苦手なので、使い方をいろいろ教えたりもしています。
家の修理や日曜大工も手伝います。
相変わらず兄弟みたいに接しています。
父がもっとも尊敬する人物だということは今でも変わりません。
昔と同じように勤勉でトレーニングに励んでいる父が大好きですよ。
まとめ
おもちゃもお小遣いもくれない家庭でした。
でも1ミリも不満はないです。
手づくりのもので囲まれる幸せ、
一緒に時間を過ごしてくれる愛情、
それらは既製の玩具やお金よりもずっと価値があるものでした。
そして子どもの心に残り続けているのでした。
父よ、ありがとう。
それでは!
母は褒めるの上手
尊敬する父
受験まみれの私
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