受験反対の家庭で育ったけど、受験まみれの人生になった
親の教育理念・子育て方針
父親は教育学をよく学んだ人でした。
だからこそ、
父親は受験反対派でした。
- 受験勉強は、点数と偏差値を過剰に意識し過ぎている
というのが持論のようでした。
できる限り、私から受験を遠ざけようとしました。
受験が絶対にありえない選択肢(日本一自由な小学校への編入)を選んだのも、そういう理由があったからだと思います。
しかし、結果的には正反対のことが起こりました。
これが、私の人生
私の人生は受験まみれでした。
- 小学受験?で日本一自由な小学校に編入。
- 中学受験で、関西の灘を除いたトップ6校全てに合格。
- 高校受験で、灘に合格。
- 大学受験で、東大に合格。
- 大学院受験で、東大院に合格。
3〜4年おきに受験の連続です。
両親は、呆れるどころか、結構応援してくれました。
いや、結構どころか全力で応援してくれました。
小学受験
まさに理想の小学校でした。
しかし、理想はそう長く続くことはありません。
わずか半年で辞めてしまうことになります。
文字通り夢のような短い期間でした。
お受験というよりは、生活態度や学習態度を網羅的に見る感じでした。
小学1年生の夏休みにサマースクールに応募して2学期から通うことになります。
これは実家の周囲の環境悪化が主な原因でした。
隣の工場が原因だったようです。
騒音、臭気、振動…。
あらゆるストレスにさらされました。
新築一戸建てを建てて5年ほどでしたが、家族で移住しようという案も出たようです。
経済的に不可能なため、せめて息子の私だけでも…
ということで、
日本一自由な小学校と言われる、きのくに子どもの村学園に行くことになります。
この小学校は、次の3つを理念として掲げています。
- 自己決定
- 個性化
- 体験学習
そして、実際にこの理念に実直に従った教育活動が行われていました。
私が所属していたのは小学1年生の時だけでしたが、本当に濃い充実した毎日が続きました。
中学受験
関西のトップ6校に出願し、全て合格しました(灘以外)。
この成功体験が、後に続く受験でも追い風となりました。
受験結果が第一というわけではありませんが、結果的には大満足です。
中学受験をしようと思ったきっかけは、いとこの存在が大きかったように感じます。
私が親の次に尊敬していた人はいとこでした。どうやらいとこは中学受験というものを経験していたようです。
学校のお話を聞かせてもらうたびに、私も素晴らしい学校に行けたらどんなに幸せだろうと思うようになりました。
そこで、私も中学受験を目標に見据えて勉強することにしたのです。
塾に通い詰めている同級生を尻目にぐんぐん成績を上げていきました。
私は独学が大好きでしたので、塾には頼ろうとしませんでした。
そして、両親も独りで勉強している私を全力で応援してくれました。
中学受験は辛く厳しいと言われていますが、それは塾に通っていることが原因かもしれません。他人のペースに合わせることほど苦痛なことはないです。
私はほとんど一人で勉強していましたが、楽しくて仕方がありませんでした。
高校受験
灘高だけ出願して、無事合格しました。
これぞ独学の本領発揮といったところです。
- 計画を毎日作成
- 独自の勉強法
この2つを追求することで、成績は右肩上がりでした。
- 独学で必死に勉強
- 模試で努力が反映される
- さらに自信がつく
この繰り返しでした。
好循環の渦がぐるぐると回り始め、毎日進歩していることを実感しました。
当時の私は、第一志望の中学校に通っていたのですが、学校の指導方針が気に入りませんでした。
身動きが取れないほど課題を大量に出されました。勉強は強制するものという雰囲気を感じました。私が最も嫌いとする方針です。
そこで、自由な学風を求めて灘高受験を決意します。
当然ながら両親や親戚、学校の先生…、全員から反対されました。
けれども、いったん決意したものは後戻りがききません。
勉強時間を確保するために、地元の公立に転校もしました。
必死になって戦略を立てて、無事に合格しました。
自分の思い通りにさせてくれた両親には大感謝です。
大学受験
東大だけ出願して、無事合格しました。
経済的な理由で上京は不可能でした。
一人暮らしにかかる費用がどうしても出せませんでした。
でも、東大に行きたいと思っていました。
そこで、収入を得ることを考えます。
始めたのはWEBサイト作成とマーケティングです。
どちらも、図書館に置かれている書籍を全て借りてきて、独学で勉強を進めました。
お小遣いはありませんでしたので、全てお金がかからない方法で始めることにします。
どちらも半年ほどで結果が出てきて、収入を得ることができました。
この資金を学費・居住費に充てることで、上京が可能になりました。
しかし、受験勉強が退屈になったのも事実です。
高校で学ぶ範囲はすでに高1の時点で終わっており、受験勉強よりも専門課程の勉強をしたいという思いでいっぱいでした。
飛び級があればいいのにと不満を抱えることも多かったです。
受験勉強とは、乾パンをかじるようでした。
私の好奇心を消耗させる不毛な競争としか思われませんでした。
早く、この状態から抜け出せればいいなとばかり考えていました。
先ほど述べたWEBサイト作成とマーケティングはそんな自分の悲観的な気持ちを紛らわせてくれるのに役立ちました。
同時に、自転車も始めて、基礎体力作りに励みました。
受験勉強だけで、時間を潰したくなかったのです。
大学院受験
今までの受験の中では一番辛かったかもしれません。
絶対に受からなければならない。
でも、例年の内部進学者の合格率は100%ではないといった状況でした。
(3人に1人が落ちます…)
直前の1ヶ月は実験を中断して、試験勉強に専念しました。
あまりに暑過ぎて勉強どころじゃない。
と思いつつ、毎日が過ぎて行きました。
結果的に合格しましたが、期待通りの結果を得られなかった友人もおり、複雑な思いで過ごすことになります。
まとめ
振り返ってみると、強く感じることがあります。
それは、
- 成長するにつれて、試験に不向きな脳みそになってきた
ということです。
中学受験、高校受験の時は、トップ層に入りたいと言う気持ちを強く持っていました。
けれども、
ある一定のレベルに到達しさえすれば、あとはどうでもいいだろうという気持ちが強くなってきました。
それはシンプルに、やりたいことがたくさんできたからです。
試験勉強だけで人生を消耗させたくないなという気持ちが強くなってきました。
例えば、
大学に入ってからエクストリームな登山を始めましたが、それによって、自分の世界は何十倍にも広がりました。
机の上だけでは学べないことを、いやというほど学んできました。
過酷な登山は、自分に生きることの凄み、自然の脅威、精神を強く持つことがいかに重要であるかを教えてくれました。
そして、そのような人生の方が何倍も楽しいのです。
尊敬する父
受験まみれの私
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