学校の授業と定期考査の意義
読者の皆様、定期考査は終わりましたでしょうか?
定期考査の意義を考えずとも無視できないイベントですね。まずはお疲れ様でした。
本来、人間には、知的好奇心が備わっているのだと思います。純粋に学ぶことは楽しいはずなのですが、様々な誘惑、点数による順位づけなどの要因で、その楽しい気持ちがマスクされているような気がしますね。
今回、学校の授業と定期考査の意義を考えてみました。
次のステップで輝けるように
敢えて真っ当な理由をつけるのなら、これでしょうか。小学校を卒業したら中学校、中学校を卒業したら高校・・・大人になってからは昇進したり、転職したりするかもしれません。その都度、何を学んできたのか、何を経験したきたのかが問われるものでしょう。また、役に立つかイメージすることは難しいものでも、いつかどこかで役にたつものなのです。今現在学べることは、その場でしっかり学んで、次のステップで活かしたいものですね。
わかりやすい例えで、大学の医学部に進むとします。
医学部入試の科目に「保健体育」がないかもしれませんが、医学部入学後の授業内容には密接に関わってくることは想像に難くないと思います。もちろん、大学入試のためだけの対策、入学後は、大学の授業のテストためけの対策、CBTだけの対策、国家試験だけの対策・・・という考えで乗り切る人はいるのでしょうが、極論を言うと、これは一夜漬けの考え方にほかならないような気がします。卒業後の長いキャリアを考えると、こういう考え方では勿体ない気がしますし、長いスパンを考えるとコスパが悪いと言えるでしょう。
主要教科の英語、数学だとどうでしょうか?
やはりこれも入試を乗り切るための最低限の学力があれば良いのでしょうか?将来、医学論文を書き始めるとわかりますが、統計学の知識は必須です。統計処理を見越した論理的な研究計画、研究の遂行、英語での論文執筆、国際会議でのディスカッション・・・輝かしい未来が待ってますね。
官僚を目指す人ならどうでしょうか?
想像力に乏しいのですが、厚生労働省に配属されたことを想像してみます。
以前、薬害エイズ事件というものがありました。旧厚生省が承認した製剤で事件が起こったのです。こういう事件を繰り返さないためにも、しっかりと勉強していかなくてはなりません。
薬害エイズ事件(やくがいエイズじけん)は、1980年代に血友病患者に対し、加熱処理をせずウイルスの不活性化を行わなかった血液凝固因子製剤(非加熱製剤)を治療に使用したことにより、多数のHIV感染者およびエイズ患者を生み出した事件である。非加熱製剤によるHIV感染の薬害被害は世界的に起こったが、日本では全血友病患者の約4割にあたる1800人がHIVに感染し、うち約400人以上がすでに死亡しているといわれる。
(Wikipedia)
上記、思いつきで書きましたが、保健体育の教科書を開いてみると、基本的ではありますが、実際に「薬害」のことが記載されていました。
以下、保健体育の教科書の巻末の抜粋です。
将来研究の道に進む人もいることでしょう。
保健体育の教科書に載っていた「ダイオキシン」の例です。
専門的な内容になりますが、元来自然には存在しないダイオキシンが、生体内でホルモン様の作用をし遺伝子の転写調節に関わっている可能性が指摘されています。
毒性
ダイオキシン類の毒性は一般毒性、発癌性、生殖毒性、免疫毒性など多岐にわたりそれぞれの毒性発現量は異なる。(Wikipedia)
以上、化学、医学、分子生物学の知識が必要です。分野横断的な発想があってこそ独創的な研究につながるわけですから、どの分野に進もうとも、幅広い知見が必要なのは言うまでもありません。
以上まとめると、せめて、教科書の範囲だけでも網羅的に学習し、時間が許すならば少しだけでも深く勉強し、定期考査というイベントを利用して用語をきちんと暗記しておく。医学部や東大を目指すような人なら、この程度の内容なら朝飯前ではないでしょうか。
繰り返しますが、役に立つかイメージすることは難しいものでも、いつかどこかで役にたつものなのです。知識を長期記憶にのせておいて、いつの日か必要になった時に取り出すのです。目先の損得を考えずに勉強したほうが楽しいと思いませんか?
副産物が得られる
ガク氏は定期考査に関して「大量暗記→忘却の繰り返しに儚さを感じた」と言っております。まさしく、先に述べた「テストのためだけの対策」の考え方では、「大量暗記→忘却の繰り返し」という結果を招くような気がしますが、せっかくの人生、それでは勿体無い気がしますね。たとえ、将来の自分を想像できなくても、定期考査というイベントをなんとか意味のあるものにしたいものです。
我が子の例で恐縮ですが、全教科に対して、「科学的根拠に基づいた記憶のコツ」を試みているようです。あくまで、知識を長期記憶に乗せるための手段として、定期考査を活用しているのだと思います。
定期考査での暗記科目の小さな成功が、間違いなく、他の教科に波及しているようです。これが副産物です。小さなことにもこだわって科学的に戦略を立てていくうちに、学習を支配する根本的な考え方が身につきます。「短期記憶ではなく長期記憶」「丸暗記ではなく理解を伴った記憶」「テスト出題者の意図を読みとる」などを、身を以て経験していくのです。
市販の対策問題集が存在しない(?)「保健体育」でも、独自にプランを立て、可能な限り科学的にやるのです。そしてこの小さな山を攻略してしまうと、社会科目や古典などでも同じように攻略できることがわかります。さらに数学でも似たようなものだと思えてくるのかもしれません。英語の学習が先行して、数学に苦手意識のあった我が子でしたが、青チャートの膨大な量の問題をどうにか攻略するマインドを持ち始めているようです。
高校指定でありますし、幸いガク氏も推薦していている青チャートですから、我が家では、これ以外の選択肢はありません。青チャートの動画教材、学校の授業、定期考査を利用し、時には、友人にも助けを借りながら、エピソード記憶をしていくのです。話が逸れてしまいますが、これだけの学習環境が整っているのであれば、予備校に縋る理由はないでしょう。友人の中には、大学受験一直線、予備校に通っていて、入試科目以外には目もくれない人がいるようですが、副作用とのバランスを考慮すべきだと思います。
誰しも訪れる最期を知るために
学校の授業、定期テストとは必ずしも結びつきませんが、最後に学ぶことの意義を考えてみました。
私は理系の人間であり、子供の頃は図鑑こそ好きだったようですが、本を嗜むことはあまりなかったと記憶しています。テレビだと、NHKスペシャルを好んで見ていたかなと思います。ただただ科学的な興味で。しかし、人生も半ばに差し掛かると、上記タイトルのようなことを考えてしまいますね。これは誰しも同じことだとは思います。
ふと、高校生の頃に「精神と物質」というタイトルの本を読んだことを思い出しました。「知の巨人」の言われる立花隆氏とノーベル賞学者である利根川進氏の対談の書です。生命の営みを物質の動きによる説明で片付けようとする利根川氏に立花氏が食らいつくような構図だった記憶があります。
生命とは何か? 精神とは何か?
人の魂を考えさせられるような記述もあったと記憶しています。
精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか ハードカバー – 1990/6/1立花 隆 (著), 利根川 進 (著)
内容(「BOOK」データベースより)はたして「生命」は神秘であるのか?利根川進氏の“百年の一度”の大研究とは―。20時間の及ぶ徹低インタビューが明らかにした最先端生命科学の現状。
立花 隆は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家である。執筆テーマは、生物学、環境問題、医療、宇宙、政治、経済、生命、哲学、臨死体験など多岐にわたり、多くの著書がベストセラーとなる。その類なき知的欲求を幅広い分野に及ばせているところから「知の巨人」のニックネームを持つ。 ・・・2007年暮れ、膀胱がんの手術を受けるが、その後も世界の最前線の研究者たちを取材し、がんの正体を根源的に見つめ直す活動を続けた。
ウィキペディア
https://nadatodai.com/contribution-2110-4/
その利根川氏も、子を持つ親として、心が揺れ動く経験をされています。いくら研究が進もうとも、科学的な解明が難しい人の心というものでしょう。
利根川進と言えば、本庶佑。
利根川氏は、抗体の遺伝子の研究から脳の研究に移っていきましたが、本庶氏は、抗体の遺伝子の研究からがん免疫の研究に軸足を移していきます。
がんを消す免疫薬の真実【文春e-Books】 Kindle版
本庶 佑 (著), 立花 隆 (著)
2018年のノーベル医学・生理学賞を受賞した京都大の本庶佑特別教授。免疫の働きを抑えるブレーキ役となる物質「PD-1」を発見し、がんに対して免疫が働くようにする治療薬「オプジーボ」の開発に貢献したことが評価された。実は2年前、この最新治療をテーマに、本庶氏と評論家の立花隆氏との対談が文藝春秋誌上で行われた。画期的な免疫療法の発見から新薬開発までの苦労など、貴重なエピソードの数々を電子書籍として公開する。
精神(脳)と、がん。生涯で2人に1人はがんになる時代ですね。健康的に最期を迎えられるようにどのようにしたら良いのか、その後に魂はどこに行くのか、こんなことを考えながら立花氏は過ごしていたのかもしれません。
「知の巨人」が答えを導いたのかどうかわかりませんが、学ぶことの意義がここにあるような気がしました。
追記 人はなぜ勉強するのか
とある教育学者の本を読んでいると、「正答」が書いてありました。
人はなぜ勉強するのか ―千秋の人 吉田松陰 単行本 – 2005/6/1
抜粋
「自分には天から授かったかけがえのない尊い独特の持ち味があると信じて、その持ち味を見つけ出すことから始めるしかありません。そのためには、もしあなたが青少年ならば学校で習う国語、数学、社会、理科をはじめ芸術、体育、総合学習などに至る各教科目に、全力を挙げて取り組んで自分を試してみることが大切です。
(略)
取り組んでみると得意な分野、好きな分野、つまり持ち味に適合する分野がどこにあるかがわかってくるからです。
(略)
次は、その分野がなんであろうともその分野の自分の持ち味を、卓越した状態にまで高めるように努力することです。
(略)
それがどんな分野であろうとも、平等に人間として尊敬に値する立派な価値を持つことになるのです。
(略)
これが、すべての人が各自その持ち味を発揮して、人類文化の各分野においてそれぞれ卓越した状態にまで、自己を高めて自己実現を成し遂げるという、民主社会の卓越性の理想なのです。
(略)
なんのために人はその青少年期において学校で各教科目の勉強をするのか、その意義も納得できることでしょう。」
「天から授かったかけがえのない尊い独特の持ち味」とは、生物学的に言えば、「親から受け継いだ独特な遺伝子の組み合わせ」ということでしょうか。それでいて、自分の持ち味が何であるかを見つけ出すために、「各教科目に、全力を挙げて取り組んで自分を試してみることが大切」なのだそうです。
そして、その持ち味を卓越した状態に持っていくことが大切であり、その後は各自が民主的に職業を選択する。
さらに、「民主制の卓越性の理想」というのは、つまり、各分野においてそれぞれ卓越した状態の人が存在するわけですから、その集合として、理想的な社会であるということ、ですね。
少し小難しい話になってしまいましたが、教育学者としての答えはきちんと存在していたということです。
ちょっと変な言い方になってしまいますが、「全力」でぶつかって、医学部に入るだけの学力が得られないのであれば、それはその人の持ち味では無いということになってしまいます。つまり、別の道を進むことで自分が輝けるということですし、その先に卓越した状態になれるのなら、公のためにはそれが理想であると・・・
鯔のつまり、何事にも全力で頑張ると良いようです。
管理人より
私にとって、定期テストの存在は時期によって大きく変遷しました。
- 中学入学〜中2:テストの点数=自分の学力だと考え、文字通り完璧に対策
- 中2秋ごろ〜:テストとは無関係に勉強→テスト対策せず
- 中3ごろ:点数は全く気にしない
だんだん斜に構えた態度をとっているようにも思われます。
私の考えは下記ページに少しだけ載せています(期間限定で公開の予定)。外部サイトです。
管理人より 2
ふと、大学の試験を思い出しました。
大学では、シケ対(試験対策委員会)というなかなか立派な組織が結成されていました。大学の学期ごとに行われるテストを完全攻略?するのが目的で、各分野に詳しい人を中心に集められました。これがなかなか出来が良く、その辺の参考書よりわかりやすいものもありました。大学側としては、「許せない」という態度をとっていたようですが、学生からの根強い支持を受けてシケ対は受け継がれているようです。
管理人より 3
吉田松陰については、実家の書棚に数多くの本があります。
父が若い頃に読んでいたようですが、私も勉強していこうと思いました。
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