【東大寺・西大和】中学入試合格体験記|ほぼ独学で挑んだ一部始終

書類整理をしていると、私の中学受験時代のものが出てきました。
そのなかに父が書いた受験体験記がありました。題名は『受験生の四季』。
父らしい題名だと思いました。四季の移ろいに受験生の一年を重ねた、静かな文章です。読み返すたびに、懐かしさと感謝がこみ上げてきます。
当時の父の文章を、できるだけ原文に忠実に掲載します。
息子について——掲載前に
本文を読む前に、少しだけ私自身の受験歴を書いておきます。
小学校では日本一自由な学校に編入し、中学受験では関西のトップ6校(灘を除く)全てに合格しました。その後、独学で灘高・東大に進みました。
この体験記は、その中学受験の記録です。
受験生の四季——父の記録
春、塾と出会う。
息子が模試を初めて受けたのは、今から1年前の2月5日でした。それまでは、自学自習用の教材を使ってひとり黙々と勉強をしていました。
ひとり勉強を始めたのは、2年生のときです。算数と国語を週に2回。このころはまだ中学受験を考えていませんでしたが、標準用問題集は易しいので、受験用の問題集を併用していました。3年生3学期から理科の勉強を始めました。私立中学への進学を考え始めたのはこのころです。
息子はひそかに歴史年表のような1枚の紙に計画を書いていました。3年間の勉強計画をぐるぐると巻物のように丸めて筆箱に忍ばせていました。
4年生1学期で、標準用の6年算数の問題集を仕上げました。4年生2学期から社会の勉強を始めました。
勉強法も自分で考えていました。算数は例題を解いて考え方を理解し、類題で練習する。理科・社会は事典で調べながら勉強する。国語は解説集を問題の後に熟読する。時間をかけて納得のいくまで考え続けていました。
学年が上がるにつれ、勉強時間が増えていきました。5年生になり、月曜日から金曜日までは1日4時間、土曜日は6時間と自分で決めました。日曜日は勉強を休んで山に登りました。
模試の翌日、先生から講習会の打診がありました。授業は国語・算数・理科の3科目週3回でスタートしました。自分ひとりでしてきた勉強と違って、決められた時間内で問題を解くことに戸惑っていました。しかし、息子は懸命に頑張りました。
毎朝続けていた登校前の1時間読書を、算数の計算と漢字の練習に変えました。休日は10時間勉強しました。大好きな登山も昆虫採集も将棋も、入試が終わるまでしませんでした。
宿題の量が一気に増えました。次から次へと配られるプリントに「流れ作業のような勉強やな」とつぶやいていました。睡眠時間は8時間と決めていましたが、7時間30分に減らしました。
先生方からいただいたプリントの束に先生の名前をつけて「○○プリント」などと呼んで、こつこつ仕上げていきました。それらをひとつひとつ解く過程で、徐々に力がついていきました。
夏、日々の勉強を続ける。
1ページ1ページ本を読み進めるように、一歩一歩山頂を目指して山道を歩くように、一日一日着実に勉強を続けました。プリントは科目別・講座別に綴り紐でとじて、積み上げていきました。
息子の部屋には、私が作った木の本棚が3つ置いてあります。
1つ目の本棚には今まで読んできた本が並べられています。2つ目には、これまで勉強してきた問題集が置かれています。こうすることで、これまでこなしてきた勉強量が目に見えてわかります。そして3つ目には現在している問題集やプリントを入れてあります。こうしておくと、自分の現在の状況を一目で把握するのに役立ちます。
5年生の1月までずっとひとり勉強をしていた息子は、考える訓練は充分していましたが、暗記と反復練習はしていませんでした。覚えなければならないことが山のようにあります。国語のことわざ、慣用表現、社会の西暦・用語——そのうえ、社会の用語はすべて漢字で書かなければなりません。これらを短期間のうちに暗記しなければなりませんでした。
春から夏までの4ヶ月間、あらゆる単語を暗記し直すのに苦闘が続きました。
みんなはすでに覚えている。しかし、ぼくはまだ覚えていない。
口には出しませんでしたが、息子はそう思っていたようです。弱音を吐くこともなく、持ち前の集中力と根気強さで克服していきました。
算数の計算スピードも上げなければなりませんでした。「計算のめっちゃ速い子がいる」と言っていました。毎朝、ストップウォッチを使って練習しました。
夏期講習では、さらに大量に課題が出されました。それらを苦にもせず、ひとつひとつ仕上げていきました。鼻歌まじりに問題を解いているときもありました。新しい友達もできたようでした。講習会から帰ってきて、仲良くなった友達の話をひとしきり聞かせてくれました。切磋琢磨しながら勉強するのを楽しんでいるようでした。
夏期講習が終わったとき、「思ったより楽だったな」と言っていました。
毎夏、家族でキャンプをして日本アルプスの山々に登っていましたが、この夏休みは家で勉強でした。講習会が休みの日も、7時起床11時30分就寝の生活習慣を続けました。
息子が庭で育てていた野菜が実り、とれたてのピーマン、いんげん、ゴーヤーなどが食卓を彩りました。
息子は本や新聞で見聞きしたことを素直に実行していました。「頭の働きがよくなるから」と言って、勉強を終えて寝る前にコップ一杯の牛乳を飲むのを習慣にするようになりました。
秋、志望校を決める。
5年生の1月までに岩波少年文庫を中心に本の世界を広げていました。そんな息子が国語の成績が思うように伸びないことに悩んでいました。
息子の読んだ本が並んだ書棚の前に立ち、こう伝えたことがあります。
「これだけの本を読んで来たんだ。塾生でこれだけ読んでいる子どもはおそらくいないだろう。読書量では誰にも引けをとらない。自信を持っていいぞ。」
10月6日、大阪星光学院の説明会に親子3人で行きました。天王寺駅に降り立った息子は、見上げるばかりの高層建築と激しい往来を見て、「変わった町やな」と言いました。山や川や海に親しんできた少年が、初めて都会の喧騒を目の当たりにした日でした。
明くる日、初めて都心部で開かれた模試に参加しました。「やっぱり大阪は変わってるな」と言っていました。
庭にあるひともとの柿の木が、たわわに実をつけていました。2年生のとき息子が植えた木が、初めて結実するまで立派に成長した秋でした。
11月下旬、先生から東大寺学園の受験を勧められた、と興奮気味で息子が帰って来ました。
私は入学する意思のない学校を受験することに気が進みませんでした。しかし息子は「挑戦したい、勉強して来た力を試したい」と言いました。
11月から12月にかけて、毎週のように様々な模試が行われました。力が発揮できたときもあり、そうでないときもありました。どんなことがあろうとも息子の意欲は挫けませんでした。
12月の暮れごろ、今まで試験のたびに緊張して不注意な間違いをしていた息子が、「緊張しなくなった」と言いました。
私の家には、ゲーム機もDVDもありません。クラシック音楽を聴くのを楽しみにしています。新年を迎えたころ、「頭の回転がよくなるんだ」と言って、息子はモーツァルトばかり聴き始めました。
冬、力を試す。
1月19日、学んできた力を試すときが訪れました。マネージャー役の妻が立てた計画に従っての行動です。連日、北へ南へと受験の旅が続きます。払暁、家を出て試験会場に向かいます。
人事は尽くしました。あとは天命を待つばかりです。
21日、大寒。どおりの寒い日でした。彼方に連なる山脈が雪化粧していました。
第一志望校の掲示板で息子の受験番号を見た瞬間、息子が机に向かって勉強している数々の場面が記憶の泉から一気に湧き出てきました。その間際、「よいしょ、よいしょ」と言いながら、小さな足で山道を登っている幼い息子の姿が浮かんでは消え、浮かんでは消えていきました。
熱いものが胸に込み上げて来ました。
23日、第二志望校に合格した、という公衆電話からの妻の声がはずんでいました。お母さんの目に涙が光っていた、と夕食のとき息子は頬を紅潮させながら話しました。
27日、第三志望校合格の知らせをいただきました。その日の午後、すべての入学試験に合格できたことを祝い、ケーキを作りました。
これで息子の中学受験物語は終わりました。
努力と成果
こつこつと努力を積み重ねて来た。一所懸命勉強してきた。そして、その成果が得られた。
息子は自信をもつことができました。
息子は自分が見聞きした言葉すべてを素直に受け止め、それを勉強するエネルギーに変えていきました。そして、息子の活力の源になった軽食のサンドイッチ、工夫を凝らした献立のおむすびの弁当をすべて手づくりしていた妻にも感謝します。
地球が太陽の周りをひとめぐりしました。勉強に明け暮れた1年でした。
入試が終わって、朝のひとときは、読書の時間に戻りました。
今日は2月4日、立春。また、新たな四季物語が始まります。
息子より——いま、この文章を読み返して
父の文章を読むたびに、気づくことがある。
父は一度も「よくやった」と書いていない。「頑張れ」とも書いていない。ただ静かに、息子の行動を記録している。柿の木が実ったこと、モーツァルトを聴き始めたこと、「よいしょ、よいしょ」と言いながら山道を登っていた幼い日のこと。
でもその静かな観察の中に、深い愛情がある。それを受け取るのに、少し時間がかかった。
父が作った3つの本棚は、今も実家にある。2つ目の棚——勉強してきた問題集が並んだ棚——には、あの頃使い込んだ教材が今でも残っている。
この体験記の後、もっと壮絶な物語が始まる。私立中学を2年半で辞めて、公立に戻り、独学で灘高・東大を目指すことになる。でも今振り返ると、あの中学受験の1年間に全ての出発点があった。
自分で計画を立てて、自分で進める。弱音を吐かずに積み重ねる。それを、11歳の自分はもうやっていた。
父よ、ありがとう。





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