東大生の家庭が必ず守っていた7つの家庭習慣|小学生編
規則正しい生活は全ての基本です。
私の家庭では、以下の項目を守っていました。
- 早起き
- 登校前読書
- 宿題をしてから遊ぶ
- 17時までに帰宅
- 家族みんなで夕食
- 寝る前に翌日の準備
- 21時までに就寝
順番に説明していきましょう。
早起き
朝を大事にしている人は、充実した1日を送ることができます。
私は、幼い頃から早起きでした。
- 雨戸を開ける
- 玄関の鍵を開ける
- 新聞を取りに行く
全てのルーティンにおいて家族の誰よりも早く行動しようとしていました。
早起きすると、時間に余裕が生まれてきます。
ゆとりを持った時間の使い方は、人生に幅をもたせてくれます。
全てが好循環の渦に移行するのです。
登校前読書
朝はゴールデンタイムと言われています。
毎日の読書を習慣化するには、既存のルーティンに組み込むのが一番です。
例えば、
- 入浴後に読書をする
- 出勤前に30分だけ読書をする
などですね。
「この時間帯は読書」と身体に染み込ませることで、すんなりと行動できるようになります。
私の場合は、登校前の1時間を読書にあてていました。
主に岩波少年文庫を中心に本を読んでいました。
ここで、重要なのが、
- 父も一緒に読書をしていた
という点です。
例えば、
自分の子どもに読書習慣を身につけて欲しい場合、
上から目線で「読書をしなさい」と言うのは、全くの逆効果です。
むしろ、読書が嫌い、命令口調してくるお母さんが嫌いという状況になってしまいます。
誰でもそうですよね。
- 〇〇しなさい
と言われて素直に、心から楽しんで取り組めるはずがありません。
宿題をしてから遊ぶ
厳守していました。
必ず、宿題をしてから遊ぶようにしていました。
小学校に通い始めた頃からずっと、親とのお約束だったので、特に違和感も感じることもなかったです。
17時までに帰宅
どんだけ、遊びが楽しくても17時には帰宅するようにしていました。
冬場は日没が早いのでいいのですが、
6月とかになると17時と言ってもまだまだ明るいです。
遊ぶのが大好きな私は時間を忘れて遊ぶことが多々ありました。
一度、18時になっても帰ってこないということで、
母が血相を変えて探しにきたことがありました。
その時、私は
野原で虫を追いかけていました。
完全に虫取りに没頭していて、時間を忘れていたのです。太陽は大きく傾いていました。
やっとのことで私を見つけた母は涙で目を濡らしていました。
そのあと、一緒に帰宅しました。
父も目の前に来て、怒られるのだと覚悟していました。
しかし、
一切、怒られませんでした。
逆に、
無事でよかったとなんども言われました。
私が幼い頃の話です。
この時のことはありありと覚えています。
それ以来、私は、太陽の高度をしっかりと確認して、
17時にはきちんと帰宅するようになりました。
もし、時間が回る場合は、友達の家の電話を借りてその旨を伝えました。
家族みんなで夕食
食事の場は、家族の交流を深める場でもあります。
学校で楽しかったこと、
新しく学んだこと、
今日一番嬉しかったこと、
たくさんのことを話しました。
食卓は吉野杉でできた大きなテーブルで、白熱灯があかあかと灯っていました。
- 楽しい食卓
実家と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、食卓の風景です。
私の心の故郷とでも呼べる光景です。
私の父が独立した理由の1つに、
- 家族みんなで食事をとる
という夢があったようです。
平日は昼食を除いて、
- 朝食と夕食は家族揃って食べる
ようになりました。
父は夕食後も仕事をしていましたが、私の生活リズムに合わせて食事を取ってくれていました。
せっかく家族として存在するのだから、子どもの顔を見ないで毎日を過ごすという生活は考えられなかったようです。
収入が不安定になっても独立を選んだのは、こうした理由があったようでした。
寝る前に翌日の準備
本当にオススメです。
私は、忘れ物を全くと言っていいほどしませんでした。
これは、寝る前の準備をしっかりしていたからです。
先生の連絡事項はしっかりとメモしておいて、寝る前に見返していました。
小学低学年の時は、母と一緒に忘れ物の確認をして、準備しました。
- 忘れ物をする人は大成しない
父が呟いていた言葉です。
素直な私は、この言葉をしっかりと頭に刻み込んで、学校生活を送っていました。
21時までに就寝
夜更かしは一度もしたことがありません。
紅白も見ずに寝ていました。
- 寝る子は育つ
有名な言葉がありますが、まさにその通りだと思います。
本当にたっぷりと寝ました。
就寝時間をきっちりと決めておくことで、ダラダラ過ごすことがなくなります。
身長が高くなって欲しいので、毎晩牛乳を飲んでから寝るのが日課になりました。
まとめ
私の親は理想の家庭を実現しようとしました。
収入が減っても、
自分が辛い思いをしても、
子どもとの時間を何よりも優先していました。
よく言っていました、
- 「あんたは日本一幸せな子どもや」
私もその通りだと思いました。
おもちゃも与えられず、お小遣いももらえず、服も譲りものが多かったですが、
それでも幸せでした。
- 最高の幸せとは、精神の健康
私は、そう確信しました。
簡素な生活の中に、満ち足りた幸せがありました。
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