【小学校の成績】学年底辺になった私が上位になるまでにやったこと|独学に目覚めた日の話

小学1年生の冬、私の成績は学年底辺だった。
知らない漢字ばかりだった。教科書の音読を指名されても、読み方がわからなくてたどたどしくなった。笑われた。
みんなは知っている。でも自分は知らない。
これほど苦い気持ちを抱いたのは、生まれて初めてだった。
きのくにから公立へ——底辺との出会い
もともと、先取り学習を続けていたおかげで、小学校に入った当初の成績は上位だった。
途中できのくに子どもの村学園に編入した。日本一自由な学校と呼ばれる場所だ。テストがない。点数がない。順位がない。毎日が遠足のような半年間だった。
きのくには私の人生を変えた。そこで得たものは、点数では測れない何かだった。でも再び地元公立に戻ったとき、現実が待っていた。
先生から言われた。「ガクくん、どうしたの?どうして勉強できない子になったの?」
この言葉は今でも覚えている。悔しかったからだ。「勉強できない子」になったわけではない。でも、その言葉を否定できるものが、あの時の私には何もなかった。
父の言葉が、すべての火種だった
学校から返されたテスト。ほとんどバツがついていた。点数は悲惨だった。
そのテストを見た父が言った。
「ガク、心配するんじゃないぞ。お前はきのくにでいろんなことを学んだんだ。それは目に見えないんだよ。点数に出てこない力を身につけたんだよ。」
素直に嬉しかった。涙が出そうになった。
でも、それと同時に、火がついた。
目に見えない力を手に入れた。それはわかった。でも、目に見える力でも負けたくない——そう思った。
あの瞬間が、独学の出発点だった。誰かに「やれ」と言われたわけではない。自分の中から「やりたい」が湧き出てきた。あの感覚は、今でも鮮明に覚えている。
猛特訓でやったこと——シンプルに、毎日
特別なことはしていない。
書店へ行って、小学1年生向けの漢字練習帳と計算帳を買ってきた。毎日〇〇ページするというノルマを自分で決めて、着々と進めた。
勉強場所はリビングだった。専業主婦の母が傍にいた。料理をしながら、ときどきこちらを見ていた。誰かがそばにいるのといないのとでは、集中力がまるで違う。
心理学でいう「社会的促進」の効果だ。他者の存在が課題への集中を高める現象で、1898年にトリプレットが発見した古典的な概念だ。母の存在が、私の集中力を支えていた。
モチベーションが絶えなかった理由
この時期、学習意欲が切れることがなかった。なぜ続けられたのかを振り返ると、いくつかの理由がある。
一つは、負けず嫌いな性格だ。「あの子は知っている。自分は知らない」という差が、前に進む燃料になった。心理学では「社会的比較動機」と呼ばれる。他者との比較が、行動を引き出す力になる現象だ。
もう一つは、親が環境を整えてくれたことだ。書籍を惜しまず買ってくれた。自宅学習の場所を作ってくれた。「心配するな」と言いながら、後ろから静かに支えてくれた。
そして、規則正しい生活習慣だ。勉強する曜日と時間を決めていた。遊びと勉強のけじめが明確だったから、勉強の時間になれば自然と体が動いた。これは神経科学でいう「習慣の自動化」だ。同じ時間に同じことをする習慣は、大脳基底核にコントロールが移行し、意志力を使わずに実行できるようになる。
発見:努力が結果になる、このスタイルが好きだ
猛特訓を続けながら、あることに気づいた。
学校の成績は、努力賞だ。
頑張れば頑張るほど、点数が上がる。上がったという事実が目に見える。次の意欲が湧く。またやる。また上がる。
この循環が、たまらなく気持ちよかった。
努力すればするほど結果になって出てくる——このスタイルが気に入った。勉強という行為そのものを好きになった瞬間がここにあった。
心理学者バンデューラの「自己効力感」という概念がある。「自分はできる」という確信が積み重なると、次の挑戦に向かうエネルギーが自然と湧き出てくる。小学1年生の冬に始めた猛特訓は、私の中に最初の自己効力感を作った。その感覚が、その後の独学の根っこになった。
小学1年生を終える頃には
学年上位の成績に入っていた。
底辺から上位へ。1年かかっていない。特別な才能があったわけではない。シンプルな教材を、毎日続けただけだ。
この体験が教えてくれたことがある。
スタート地点は関係ない。今どこにいるかではなく、今どちらに向かっているかが問題だ。動き続ける限り、人は変われる。
あの冬の悔しさが、私を動かした。父の言葉が火をつけた。母の存在が支えてくれた。独学という道は、その日に始まった。





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