きのくに子どもの村学園を辞めるときに言われたこと・私の本音・親の本音

幸福はいつまでも続くとは限りません。
夢のような楽しい生活は半年で終わりました。
再び地元の小学校に通うことになります。
私は、小学1年生の時に日本一自由な学校に通っていました。
きのくに子どもの村学園という小学校です。
当時はマスコミにも取り上げられ、認知度が高まっていました。
主な特徴は以下の通りです。
- 子どもの自主性を尊重
- 体験学習を重視
これにひどく共感した父は、さっそく私をきのくにに入学させました。
しかし、半年後に辞めることになります。
今回は、この時の経緯と心情についてお話ししていきます。
きのくにを辞めた理由
理由はたくさんあります。
熟考に熟考を重ねての決断でした。
主な理由は次の2つです。
- 子ども不在が辛い(両親とも)
- 学費がまかなえない
特に、一つ目は重大でした。
一人息子が家に居ないことで、両親は精神的に疲弊していました。
母は頻繁に、
- ガクの笑顔が見られない
と漏らしていたそうです。
父は仕事があるので気が紛れますが、
母は専業主婦です。
ふっとした折に私のことを思い出して、心が辛くなると言っていました。
きのくに学園に転入して半年が経つ頃、とうとう耐えられなくなったようです。
追記
もちろん、学費も家計を圧迫していましたが、両親ともに、子どもの教育にはお金を惜しまないという方針でしたので、もしもの時でも何とかしたと思います。
学園長に言われたこと
両親ともに、堀先生(学園長)を尊敬していました。
理想の教育を実現したということで、その方針にも共感していました。
入学してから半年が経過したころ、学校を辞めるという話をしにいきました。
いつもは軽快に走るインプレッサ(スバル)ですが、この日はどことなくエンジンが鈍いです。
紀ノ川を渡って細い山道をくねくねと上がれば、きのくに学園に到着です。
さっそく堀先生が出迎えてくれました。
親子3人で挨拶をして、小さな部屋に入ります。
そこで真っ先にかけられた言葉が、
- 「ガクくんはどうしたいのかね?」
でした。
続けて、親の意向よりも、子ども(私)の気持ちを優先したいと仰りました。
いつもは明るい私ですが、この時ばかりは緊張してしまって、うまく言葉を出せませんでした。
そしてこう言いました。
- 「(転校するかしないか)どちらでもいいんです。」
堀先生は続けてもう一度尋ねました。
- 「ガクくん、自分で決めるんだよ。」
これを聞いて、両親は泣いてしまいました。
私もつられて泣きました。
涙と鼻水で言葉が続かなかったため、私は外に出ました。
- ガクくん、かわちん(先生)が呼んでいるよ
そう言われて部屋を出ました。
この後、両親と堀先生のみで面談が続きました。
あとから聞いた話では、
- それは、親のエゴですよ
と柔らかく諭されたそうです。
親のその時の考えで子どもを振り回しているのと同じだというような話をされたそうです。
両親もその通りだと言ったそうです。
でも、一人息子の不在に耐えられないということで、最終的には地元公立への転校が決まりました。
私の本音
正直にいうと、どちらでも良かったです。
そのままきのくにを続けるのも、辞めて地元公立に転校するのでも、どちらでも良かったです。
あやふやな返事ですが、これが本音でもあります。
きのくには、毎日が楽しいです。
でも、
家で母の料理を食べたり、父と遊んだりするのも楽しみでした。
そう簡単に天秤にかけられるものではありません。
それぞれに固有の良さがありました。
両方を経験できた私は幸せ者だと思っています。
親の本音
折に触れて、両親はこう語りました。
- ガク、本当に申し訳ないことをした。
- 私が悪かった。
堀先生の言葉を聞いて、いかに自己中心的な考えで子どもを振り回していたか、それを反省したと言います。
ただ、肝心の私は、全く悪い感情は持っておらず、
むしろ、きのくにという素晴らしい環境を少しでも体験させてくれてありがとう、と感謝の気持ちを持っていました。
私がきのくに子どもの村学園に入学したのにはいくつかワケがありました。
主なものから順番に挙げていくと次のようになります。
- 子どもに最高の教育をさせてあげたい
- 大自然に囲まれて育ってほしい
- 序列化・画一的教育をさせたくない
これらすべてを叶えてくれるのがきのくに学園だったということです。
ただ、理想ばかりを求めすぎて、それ以外のデメリット・精神的ダメージに目を向けるのが遅れました。
きのくにを辞めて経験できたこと
最もメリットが大きいものから順番にあげていきましょう。
- 両親と過ごす時間が増えた
- 読書量が増えた
- 勉強量が増えた
- 受験を経験できた
- 父の働く姿を見られた
- 母の手料理を楽しめた
- 地元の子供たちと触れ合えた
いずれも、私にとって大きな意味を持つものばかりです。
読書量と勉強量の大幅な増加は私の脳みそを変えました。
いい方向に向かったのか否かは別として、論理立てて考えるくせが身につきました。
(両親の当初の意向に反して)受験を経験したのも大きかったです。
受験を通して、好き嫌い関係なく広範囲に渡る分野を学ぶことができました。
これらについては別記事でまとめます。
最後に|今から振り返って
辞めて良かったと思っています。
これは何もきのくに子どもの村学園が自分に合っていなかったと言いたいわけではありません。
もし、このまま私がきのくにに通っていたとしたら、
(上記の項目を経験できなかっただろうし、)
- 両親にとっても一人息子不在という精神的ダメージが大きな負担になっていただろう
ということです。
子どもだけの問題ではありません。
家庭に属している以上、その基盤となる両親が健康である必要があります。
もし、親が倒れたら私も倒れてしまいます。
皆が健康。
それが一番の幸せです。
ただ、両親が精神的に辛さを感じず、ずっときのくにを続けていたとしたら、それはそれで全く違った私が生まれていたのだと思っています。
具体的には、
- 行動力
- 創造力
- コミュ力
これらの点で今よりも優っていたと思われます。
私は、中学校に進学すると同時におとなしい生徒になりました。
(それが原因かどうかわかりませんが、)コミュ力が不足しています。
また、受験勉強に多くの時間と労力を割いてきたために、企画したり、行動したり…が苦手です。
自分が強い関心を寄せている分野であれば、問題ないのですが、それ以外はあまり興味を持つことなく傍観するだけです。
もし、きのくにを卒業していたら…
という話をよく両親とするのですが、もし、きのくにを卒業していたら、
全く別分野で自信にあふれた人になっていたことでしょう。
いまごろ、田舎生活を満喫しながら活動しているのだと思います。
もしかしたらそれが夢に描いていた人生なのかもしれません。
遅かれ早かれそっちの軌道に乗せていきます。
それでは!
関連書籍
最後に、関連書籍のリンクを貼っておきます。
まずはこれらの本を読んでから考えて見ると良いです。
転入や入学を考えていなくても、教育のあり方について考えさせられます。
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