きのくに子どもの村学園を辞める日|学園長に言われたこと、あの涙の意味

夢のような日々が終わった
インプレッサのエンジン音が、いつもより鈍く聞こえた。
紀ノ川を渡り、細い山道をくねくねと登っていく。何度も走ったはずの道なのに、この日はどこか違う空気が車内に漂っていた。
目的地はきのくに子どもの村学園。
ただし今日は、辞める話をしに行く日だった。
転校を決めた理由
転入してから半年が経っていた。
僕にとっては夢のような毎日だった。自分たちで行き先を決め、テーマを決め、地域の人たちから生きた知恵を教わる。かまどを作って炊いたご飯の味。地元のおばあちゃんと一緒に作っためはり寿司。毎日が新鮮で、あっという間に過ぎていった。
一方、両親は限界に近づいていた。
「ガクの笑顔が見られない」
母は折に触れてそう漏らしていたという。父は仕事があるから気が紛れる。でも専業主婦の母は、ふとした瞬間に息子のことを思い出し、心が痛くなると言っていた。
週末に帰省するたびに、僕の前では笑顔を作ってくれていた。でも、それが無理に作った表情だとわかった。「元気な息子の顔を、週に2日しか見られない」——その重さが、半年で限界を超えた。
学費の問題もあった。ただ、両親は子どもの教育にはお金を惜しまない人たちだったから、もしかしたら何とかしたかもしれない。決定的だったのは、やはり母の精神的な限界だった。
小さな部屋で、学園長と向き合った
山道を登りきり、学園に着くと、学園長の堀先生が出迎えてくれた。
親子3人で挨拶をして、小さな部屋に入った。
堀先生が最初にかけた言葉は、こうだった。
「ガクくんはどうしたいのかね?」
続けて、親の意向よりも、僕自身の気持ちを優先したいとおっしゃった。
いつもは明るい僕が、この時ばかりは緊張していた。言葉がうまく出なかった。
「……どちらでもいいんです」
そう絞り出すのが精一杯だった。
堀先生はもう一度、静かに言った。
「ガクくん、自分で決めるんだよ。」
その言葉を聞いた瞬間、両親が泣いた。
僕もつられて泣いた。
あの涙の意味
なぜ泣いたのか、しばらくうまく言葉にできなかった。
今なら言える。
僕は毎日を楽しんでいただけだった。かまどを作り、田んぼで稲を育て、友達と笑って過ごしていた。でもその間、両親は深く悩み、堀先生は子どもの意思を最優先に考え、みんなが僕の人生について、僕よりずっと真剣に向き合っていた。
みんなが、自分のことを大事に思ってくれている。
その事実が、一気に胸に押し寄せてきた。
悲しさもあった。きのくにを離れるかもしれない寂しさ。続けるなら両親をまた寂しくさせてしまうという申し訳なさ。でも、それ以上に、みんなが自分を思ってくれているという嬉しさがあった。
複雑な感情が混ざり合って、涙になった。
かわちん先生と過ごした時間
涙と鼻水で言葉が続かなくなった僕は、部屋の外に出た。
「ガクくん、かわちん先生が呼んでいるよ」
そう声をかけてもらった。
両親と堀先生が3人で話し合う時間を作るためだったかもしれない。あるいは、かわちん先生が僕の転校を察して、最後に楽しい思い出を作ろうとしてくれたのかもしれない。
かわちん先生は、何か作品を作っていた。僕も一緒に手伝った。何を作っていたか細かくは覚えていない。ただ、先生がそっと気を遣ってくれたことは、今でもはっきり覚えている。
その間、部屋の中では話し合いが続いていた。
「それは、親のエゴですよ」
後から両親に聞いた。
堀先生は、柔らかく、しかしはっきりとおっしゃったそうだ。
「それは、親のエゴですよ」
親の判断で子どもを振り回しているのと同じだ、という意味だった。
両親はその通りだと思ったという。それでも、一人息子の不在に耐えられないという気持ちは変えられなかった。最終的に、地元の公立小学校への転校が決まった。
僕の本音
正直に言う。どちらでもよかった。
きのくにを続けるのも、地元に戻るのも、どちらでもよかった。
あやふやな答えに聞こえるかもしれない。でもこれが本音だ。
きのくには毎日が楽しかった。一方で、家に帰って母の料理を食べること、父と遊ぶことも、同じくらい楽しみだった。天秤にかけられるものではなかった。それぞれに、代えがたい良さがあった。
両方を経験できた自分は、幸せ者だと思っている。
両親の後悔と、僕の感謝
転校後も折に触れて、両親はこう言った。
「ガク、本当に申し訳ないことをした。私が悪かった」
堀先生の言葉が、ずっと胸に残っていたのだと思う。
ただ、肝心の僕には、悪い感情はまったくなかった。
むしろ感謝しかなかった。こんなに素晴らしい場所を体験させてくれたこと。深く悩み、真剣に考えてくれたこと。その気持ちが、あの涙の日に確かに伝わっていたから。
もしきのくにを卒業していたら
両親とよく話す。もしそのままきのくにを卒業していたら、どんな人生になっていたか。
おそらく、今とはまったく違う人間になっていたと思う。
行動力、創造力、人と作るものへの自信——そういうものが、今よりずっと育っていたかもしれない。きのくにの学園生活そのものを、自分の人生で体現するような生き方をしていたと思う。田舎で自然と向き合いながら、自分の信念を軸に動く人間になっていたかもしれない。
その人生が幸せかどうか。おそらく幸せだったと思う。一方で、一般的な社会の中で立場を掴むのに苦労していたかもしれない。
実際に歩んだ道——中学受験、高校受験、大学受験——は、きのくにとはまったく別の世界だった。でもその道を通ったことで、別の世界の人たちと出会い、別の世界の面白さを知ることができた。
どちらの人生が正解だったかは、わからない。ただ、転校したことは、結果として自分にプラスに働いていると思っている。
きのくにを離れる人へ
この記事を読んでいる方の中には、今まさにきのくにを辞めるかどうかで悩んでいる家庭もあるかもしれない。
一つだけ言える。
子どもは、思っている以上に大丈夫だ。
あの日、涙しながら感じたのは悲しみより先に、みんなへの感謝だった。親が真剣に考えてくれたことは、子どもにちゃんと伝わる。どんな選択をしても、その気持ちは消えない。
堀先生の「自分で決めるんだよ」という言葉は、今も僕の中に生きている。あの言葉をもらったから、その後の人生でも、自分で決めることを恐れないでいられた気がする。




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