【必読】きのくに子どもの村学園に通って生活はどう変わった??【1週間の過ごし方】

きのくに子どもの村学園に通って、生活はどう変わったか|1週間の記録
母が言った。「まったく別人のようになった」と。
いつものガクが、ガクではなくなった——そう呟いていたのを覚えている。
きのくに子どもの村学園に通ったのは、ごく短い期間だった。それでも、あの半年は私という人間を根本から変えた。この記事では、きのくに時代の1週間を、当時の記憶のまま書き残しておく。
帰省の頻度について
きのくには全寮制ではないが、ほとんどの子どもが寮で生活している。帰省の頻度は住んでいる場所によって異なる。
遠方の家庭は3ヶ月に1回程度。隣県なら週1回。近隣なら毎日帰宅という子もいる。私が通っていた頃は、週末だけ家に帰るパターンが圧倒的多数だった。私もそうだった。
月 赤いインプレッサで山を越える
1週間で一番慌ただしい朝だ。
荷物は前日の夜に全てパッキングしてある。あとは車に積み込むだけだ。母は運転免許を持っていなかったので、父がハンドルを握った。車は真っ赤なスバルのインプレッサ、MT車だ。幼い頃から海へ山へと連れて行ってくれた車だった。
父のゴツゴツした分厚い手がシフトチェンジを繰り返しながら、山を越えて和歌山県橋本市へ向かう。大きな紀ノ川にかかる細い橋を渡ると、橋本駅に到着だ。
駅の集合場所には、友達が何人も来ていた。送り迎えはお母さんだけでなく、お父さんの姿もあった。作家や自営業など、時間に融通が効く家庭が多かった。我がインプレッサはコインパーキングに停められ、母は友達のお母さんたちと楽しそうにおしゃべりしていた。父は遠くからそっと見守っていた。
出発の時間になると、バスに乗り込む。両親がいつまでも手を振るから、私も一生懸命に振り返した。くねくねした山道でぐったりする子もいたが、バスの中は週末の出来事や今週のプロジェクトの話で賑やかだった。
学園に着くと昼食を食べ、午後からプロジェクトが始まる。
火〜木 毎日がプロジェクトの日々
平日の中心はプロジェクト(授業)だ。マイクロバスで遠方に出かけることもしばしばあった。
私が所属していたクラスは「ファーム」といって、農業がメインだった。古民家に泊まり、地元のおばあちゃんに郷土料理を教わり、稲刈りを体験した。教科書に書いてあることではなく、土の匂いがする学びだった。
夜になると、母から渡されたテレホンカードで実家に電話をかけた。毎晩かける友達もいれば、私のように2日に1回という子もいた。お母さんの声を聞いて泣き出してしまう友達もいた。
私はといえば、日々のプロジェクトが楽しすぎて、寂しさを感じる暇がほとんどなかった。「寂しくなるだろう」と思っていた自分が、少し意外だった。
金 帰りの電車で笑わせた話
午前中は学園内で授業を受け、昼過ぎにグループごとに最寄駅まで送ってもらう。山道をくねくねと30分ほど走る道のりだ。
駅からは南海高野線に乗って北上する。帰りは友達のお母さんが大阪まで付き添ってくれた。本当に優しい方だった。
私はたいていくたびれて眠ってしまい、母か駅員さんに起こされることが多かった。大阪で母と合流し、そこからさらに1時間ほど電車に乗って帰る。帰宅ラッシュにモロに被って、車内はいつも混んでいた。でも大阪の人は優しくて、小さな子どもの姿を見ると我先に席を譲ってくれた。
きのくにの興奮が冷めやらない私は、電車の中でずっと面白い話をしていた。周りの乗客が笑ってくれると嬉しくなって、さらに話し続けた。母は顔から火が出るほど恥ずかしかったに違いない。でも、みんなが笑顔になればそれでよかった。
家に帰ると夕食を食べ、風呂に入り、そのまま寝た。荷物の片付けは母がすべてやってくれていた。
土・日 話しきれないほどの出来事
週末の2日間は、こんな過ごし方だった。
きのくにで楽しかったことを両親に話す。母の手料理をたくさん食べる。父と遊ぶ。散髪に行く。ひたすら寝る。
週末の2日では、きのくにでの出来事を全部話しきれなかった。それほど毎日が濃かった。私が楽しそうに話すのを、両親はもっと嬉しそうに聞いていた。
追記:帰宅するたびに発熱することが多かった。風邪でも何でもなく、月曜になるとすっと治る。毎回そのパターンだった。おそらく、家に帰ってきて安心したから体が緩んだのだと思う。幼い体なりの、正直な反応だった。
追記2:週末は勉強をまったくしていなかった。きのくにの方針がそうだったし、両親も同じ考えだった。たくさん食べて、たくさん寝て、たくさん遊ぶ。それだけでよかった。
6歳で親元を離れるということ
入学前、親は心配していた。私も「寂しくて眠れなくなるかもしれない」と思っていた。
実際は違った。
毎日のプロジェクトが楽しすぎて、寂しさが入り込む隙がなかった。もしきのくにの授業が普通の学校と同じようなものだったら、私は間違いなく寂しさを感じていたと思う。充実した体験があったから、離れていても平気だった。それだけのことだ。
きのくには子どもを変える。私がそうだった。「まったく別人のようになった」という母の言葉は、褒め言葉だったのか、驚きだったのか、今でもわからない。たぶん、両方だと思っている。






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